高知競輪場(高知県)
1950(昭25)年〜

1945(昭20)年7月4日:「敵機来襲敵機来襲、はやく避難せよ!」
ゴォーという音とともに、アメリカ軍のB29、120機がバラバラとたくさんの焼夷弾を落とし
高知市は、みるみるうちに
火の海になってしまった


何時間もわたるこの空襲で市内中心部は焼け野原になってしまった
およそ1万2千件もの家が焼け、400人ほどの人が亡くなった


戦中の高知大空襲で遺体の多くを空き地に仮埋葬した
それが現在の
高知競輪場が建っている場所らしい
競輪場では、いまでもおばけと万車券が多くでるそうな


1950(昭25)年:
高知競輪場が開催される
バンクは500m、バンクの内側には陸上競技場があり(400mトラック)
陸上競技場としての造営を優先させたため、直線は500m走路の中で最も短い




<昭和57年度・高知市主催・連勝式勝者投票券>



高知県高知市大原町